肥前兵法タイ捨流 証拠文献

「タイ捨風勢剣」

1600年代に丸目蔵人佐が自ら肥前(現佐賀県武雄市)に訪れ、木島刑右衛門らに相伝した。画像は木島刑右衛門に兵法タイ捨流を相伝した証の巻物。

「丸目蔵人佐徹斎藤原長恵傳」

(九州相良藩 宮崎十念記)

丸目蔵人佐徹斎藤原長恵傳はタイ捨流第十二世宗家、藤原定孝の高弟である宮崎十郎(宮崎十念)が丸目家や宗家に残るタイ捨流の古文書を現代訳した書籍

肥前兵法タイ捨流の流れが詳しく記されている

「肥前武道物語」故 黒木俊弘先生の著書

(元佐賀大学教授・剣道教士七段)

 

肥前兵法タイ捨流の相伝から佐賀県内での普及に関して詳しく記されている

「タイ捨流解紐」宝永7年 中野 就明

 

鍋島藩の第二代藩主・鍋島光茂の御側頭を務めた中野就明は、木島刑右衛門の孫弟子にあたり、宝永7年(1710年)に「タイ捨流解紐」を著した。当時、肥前における剣術の本流は、タイ捨流から新陰流に移っており、就明は「伝流ノ源ヲ失ン事ヲ憂ヒ」と、口伝の極意も含めてわかりやすい解説書としてまとめた。

「タイ捨流秘傳之書 始中終」 村岡五郎三郎(確認中)

 

佐嘉藩士 村岡五郎三郎が記したとされる、タイ捨流の秘傳書。(現在調査中)

「佐賀新聞 平成七年九月三日」

 

肥前兵法タイ捨流は明治期に一度途絶えてしまい、二度目の相伝は平成の初期頃、今は亡き13世山北竹任宗家が佐賀県の剣道教士七段・谷口國雄氏に伝え「肥前多久タイ捨流道場 聖風館」を設立するも、是れも残念ながら途絶えてしまった。

「巻物」

嬉野温泉 旅館松園の光武社長からの情報提供です。

「巻物」

佐賀県小城市の鯉料理屋「ひのでや清水別館」池田社長からの情報提供です。